麻生 太郎
あそう たろう
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政治名門出身の元首相・最長在任財務大臣であり、党内最大の「キングメーカー」的存在。 副総理兼財務大臣として約9年間アベノミクスを支え、金融・財政政策を主導した実績を持つ。 保守本流の宏池会的素養を持ちつつ積極財政と強固な日米同盟を重視する右派現実主義のスタンス。
経歴
麻生 太郎(あそう たろう) 福岡県飯塚市生まれ。高祖父に大久保利通、母方祖父に吉田茂元首相、義父に鈴木善幸元首相、妹(信子)は三笠宮寬仁親王妃という政治名門の家系。学習院初等科に編入後、学習院中・高等科を経て、1963年に学習院大学政経学部卒業。スタンフォード大学大学院・ロンドン大学政治経済学院に留学。 1966年(昭和41年) 帰国後、家業の麻生産業に入社。ブラジル・サンパウロに約1年駐在。 1970年(昭和45年) シエラレオネにてダイヤモンド採掘業に約2年従事(麻生家現地駐在員)。 1973年(昭和48年) 麻生セメント株式会社(現・株式会社麻生)代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への事業転換を主導。 1975年(昭和50年) 日本青年会議所会頭に就任。 1976年(昭和51年) モントリオールオリンピックにスキート射撃の日本代表選手として出場(41位)。 1979年(昭和54年) 第35回衆議院議員総選挙(旧福岡2区)で初当選。 1982年(昭和57年) 自民党青年局局長に就任。 1983年(昭和58年) 第37回衆議院議員総選挙で落選。 1986年(昭和61年) 第38回衆議院議員総選挙でトップ当選し国政復帰。宏池会に入会。以降、選挙区(後に福岡8区)で12回連続当選。 1996年(平成8年) 第2次橋本内閣にて経済企画庁長官(第53代)として初入閣。 1999年(平成11年) 宏池会を離脱し、大勇会(河野グループ)の立ち上げに参加。 2001年(平成13年) 自民党政務調査会長に就任。党総裁選に初出馬(3位)。 2003年(平成15年) 第1次小泉第2次改造内閣にて総務大臣(第3・4代)就任。 2005年(平成17年) 第3次小泉内閣にて外務大臣(第137・138代)就任。 2006年(平成18年) 党総裁選に2度目の出馬(安倍晋三に敗北)。麻生派(為公会)会長に就任。 2007年(平成19年) 自民党幹事長に就任(第1次安倍内閣末期)。 2008年(平成20年) 福田内閣退陣後の総裁選に4度目の出馬で圧勝。第23代自民党総裁・第92代内閣総理大臣に就任。 2009年(平成21年) 第45回衆議院議員総選挙で自民党が歴史的大敗。責任を取り、総裁・首相を辞任。 2012年(平成24年) 第2次安倍内閣発足に伴い、副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融・デフレ脱却)として入閣(首相経験者の入閣は戦後4人目)。 2013年〜2020年(平成25年〜令和2年) 第3次・第4次安倍内閣、菅義偉内閣を通じて副総理兼財務大臣として留任(連続在任)。 2021年(令和3年) 岸田内閣の発足に伴い退閣。自民党麻生派(志公会)会長として「キングメーカー」として党内に影響力を維持。 2024年(令和6年) 第50回衆議院議員総選挙(福岡8区)で当選(15選)。戦前生まれの唯一の現職衆議院議員となる。 2025年(令和7年) 石破茂辞任に伴う自民党総裁選で、投票直前に高市早苗候補を支持することを決断。高市の逆転当選を後押しし主流派に復帰。10月7日、自民党副総裁に再就任。 第27回参院選後、麻生は唯一の戦前生まれの国会議員となる。 5月、バチカンでのローマ教皇レオ14世就任式に特派大使として派遣される。 2026年(令和8年) 第51回衆議院議員総選挙(福岡8区)で当選(16選)。特別国会開会にあたり高市首相から衆議院議長就任を打診されるも固辞。